My story
父母、祖父母、3人姉妹の7人家族として生れた次女の私は、 いつも母の後ろに隠れ、おっとりとした、すぐに迷子になるマイペースな子だったが、 怖がりで感受性が強く傷つきやすいことに気づくと自分をごまかすよう強気な女子になった。 早く大人になり家を出、世界に羽ばたくことを(笑)夢見ていた。
木工製造業を営んでいた父は笑顔がよく人当たりも良かったが、怒ると手におえず、 親元を離れるまでは父の顔色を気にして過ごしていた。そんな父と一緒になった母は、 気丈で真面目で明るい女性だった。
私の性格はもともと陽気で、人を笑わせることが好きだった。 中学、高校と人並みに過ごし学生生活を楽しんだ。
大学3回生の夏、父が蒸発し、家族がバラバラになった。それから、家業を真剣に手伝い出した、 それまでも自分が家業を継ぐものだ思いこんで育ったので、すきなこと?やりたいこと?なんてことは 考えず、母を助けるために頑張った。父も寒くなる頃には帰ってきた。
そこからも家族としてはしんどい時期を過ごすことになるが、その時、 日蓮宗のお坊さん夫婦に出会い助けてもらった。
7年間程だろうか家族が立ち直るまで、付き合いが続いた。
その間、宗教とは?と考えさせられた。神様や仏様は信じていたので疑いはしなかったが、
そこに人間が入ると欲が絡んでいるように見えた。
そんな中、大学を卒業し、姉は嫁ぎ、 私も家業を継いで結婚した。長男、次男、長女を産み、母親にはなれたが、 生きている実感がわかなくなっていた。 自分が何者で、何をする為に生まれてきたのか?私に何ができるのか問い出したのもこの頃だ。
長男は小学生になり次男は年長、娘が3歳になった時、娘が小児性てんかんを発症し、
私は、 その原因のわからない病をなんとか治せないかと大学時代の恩師に頼り、専門医を紹介していただいた。
現実的にはそれで充分なのだけれど、私は自分のできることはないか?と檀家であるお寺の真言宗住職に相談し、
高野山大学院通信課程に入学した
住職に師僧になってもらい、高野山金剛峯寺で得度を受け、僧名を授かった。 そして興味の赴くままに、ヒプノセラピー、
シータヒーリングを習得した。真言密教においては内観、ヒプノセラピーでは催眠、 シータヒーリングではθ波での瞑想、
どれも楽しく自分と向き合うことを学び、自分を見つめる方法を知ることができた。
結果、 誰かを憎むことなく、誰かに依存することなく、今を生きれることに感謝し、 自分のやりたいことに集中して自分を生きられることができている。 いまの自分が一番好きだ、これからもそうあり続けられると確信している。